2013年5月1日水曜日

エムゼロEX 18

  第十八話 仕組まれた告白


観月の前に痩せこけた男がのろのろと近づく。その目は瞳孔が開き、その肌はカサカサに荒れ果て、そ の足取りは今にも倒れそうなほど不確かだ。男は観月の目の前まで接近すると、その感情の読めない爬虫類のような不気味な目でジロジロと全身を観察する。観 月の背筋に寒気が走る。背丈は観月と変わらないほど小柄な男――兜は眉をひそめ口を歪めた。

「なんでもするから棄権しろ? どういう意味だ?」

「そ、そのままの意味です。次の試合、九澄大賀とは戦わずに棄権してください」

観月は兜と目を合わせないように部屋の隅を見ながら返答する。その声は完全にこわばりひきつっていたが、なんとか最後までしゃべりきることができた。兜はその様子を見て腹から声をすすり出すように笑う。

「ヒ、ヒ、ヒ、えらく好かれてんだなああのガキは……。てめえあいつのオンナか?」

「そ、そんなんじゃありません! ただの友達です!」

「友達ぃぃい? そんなもんのためにそこまでするわけがねえだろうに……。健気だねぇ恋する乙女は」

観月の顔がかあっと熱くなる。認めたくない事実。それでももう自分の中で答えは出ていた。そのとおり、ただの友達ならここまでするはずがない。今や観月にとって、九澄の無事は自分の身より大事なのだった。

「だがてめえみてえな可愛いオンナを好きにできるってのは悪い条件じゃねえな……」

兜が目を細める。観月は唇を目一杯噛んで恐怖と動悸を抑えこむ。今にも呼吸が暴れ狂いそうだった。脚は震え、視界が定まりなくグラグラと揺れ始める。

「その辺にしておけ」

背後から男の声が聞こえたのは突然だった。兜は目を見開き顔を歪める。

「あぁ!?」

兜は明らかに観月の背後のその男を睨みつけていた。観月は脚の震えを抑えこみ、息を殺しながら後ろを振り向く。そこにいたのは観月にとって馴染みがあるとは言えない顔だった。

「てめえには関係ねえだろ、夏目……!」

夏目と呼ばれた男が余裕の笑みを浮かべる。

「関係無くはない。お前と九澄の勝者が決勝で俺と戦うんだからな。それにここは俺の控え室のすぐ隣だ。気付かないわけがないだろう?」

魔法執行部部長夏目琉。兜とは全てにおいて対照的な、長身で堂々たる体躯と精悍な容姿を持つ好青年がそこにいた。

「俺の首が欲しいんだろう? だったら余計なお遊びは止めておけ。第一、執行部長の立場としても聖凪の敷地を三文ポルノの舞台にされてもらっては困るな」

「ち……! 教師どものイヌが調子づきやがって……!」

兜の顔が醜悪に歪む。あからさまな憎しみと殺意を隠そうともしていない。だが対峙する夏目はあくまで冷静だった。

「調子づいているのはどちらだろうね。滑塚に勝ったぐらいで執行部に勝ったなどと思わないことだ。そう、この俺に勝つまではな」

「ククク……! いいぜ、九澄を血祭りにあげたら次はてめえの番だ……!! 滑塚みてえに優しく扱ってもらうと思うなよ……!」

醜く笑う兜と余裕のたたずまいの夏目。二人の会話は完全に観月をスルーして進んでいた。観月は居ても立ってもいられず夏目に詰め寄る。

「あ……あの……!」

「さあ君もこんな場所はとっとと立ち去るんだ。こんな腐った奴と同じ空間にいたら君のような美人まで腐ってしまうからね」

「きゃ……!」

突然夏目は観月の手首を掴み強引に引っ張った。そしてそのまま観月を連れて控え室を去ってしまう。跡には苦々しく立ち尽くす兜だけが残された。

「あ、あの、離してください!」

通路をずいぶん進んだ後で観月は夏目の手を強引に振り払った。そして足を止め夏目を睨み上げる。

「どうして邪魔をするんですか……!?」

「邪魔? 俺は君を助けたんだよ?」

夏目が肩をすくめる。

「だけどあたしが……あたしがああしなかったら九澄は……」

「なるほど……彼も随分と愛されたものだな。つまるところ君は彼が奴に勝てないと思っているわけだ。しかし君は知っているのかい? 彼の本当の実力を」

「あ、あなたは知っているんですか!?」

九澄は魔法を使えない。少なくとも自由には使えない。それが観月の結論だ。あるいは執行部長ともなればその事実を知っているのだろうか。それとも自分の知らないもっと大きな秘密が九澄にはあって、それを知っているということなのだろうか。
だが夏目の答えはあまりに意外なものだった。

「知らないね。彼のことなど俺は何も知らない」

「え……?」

観月は呆気にとられる。

「彼がどんな魔法を使いどれほどの力量を持っているか……俺は何も調べていないし、調べようとも思わない。彼が兜に勝てるのかどうかなんて全く予想する気はないよ」

「そんな……同じ執行部なのに……」

「俺が知っているのは彼が怪物一年生と呼ばれているということと、前にうちの滑塚に勝ったということぐらいだ。だがそれだけわかっていれば相応のやり手だと理解するには充分だろう? 本当の実力は俺自身が確かめるさ。もし彼が決勝まで上がってこれたらね」

夏目は観月に顔を近づけ、その艶やかな茶髪をそっとかき分ける。観月は夏目の突然の行動に驚いてしまい何の抵抗もできない。

「だから余計な邪魔をしてくれちゃ困るんだ……。彼と兜、どっちが勝つかなんて俺は知らない。だがこれだけは言える。強いほうが勝つ、勝ったほうが強い。どちらも同じ事だ。勝ったほうが最強の挑戦者として俺に挑む。俺を、楽しませてくれる」

さらりとそう言ってのける夏目の冷たい目。瞬間、観月はビクリと全身をこわばらせる。

「楽しま……? まさか、それだけのために……?」

「他に何がある? 彼が兜を倒した時、初めて彼は俺に挑むにふさわしい資格を得るんだ。なのに不戦勝なんかじゃつまらないじゃないか」

その時観月には、この彫刻じみた端正な顔立ちの執行部長があの不気味な男と変わらないぐらい――あるいはそれ以上に得体の知れない存在に思えた。

「で、でも九澄は……」

観月が言い終わるより先に夏目が観月の頭を両手でそっと挟む。まるで口づけの準備をするかのように。そして薄く微笑む夏目の目がかすかに紅く光ったことに観月は気付かなかった。

「さあ、『君はここに来たことなど忘れるんだ』そして『心置きなく九澄大賀を激励してやりなさい』それから……そうだな、こうしよう。『彼に君の想いを伝えてあげなさい』きっと彼も喜んでくれるだろう」

一つ一つの言葉が急速に観月の心に広がっていく。まるで言霊が精神を塗り替えていくかのように。

「九澄に……あたしの気持ちを……」

観月の瞳からは光が失われ、ただ夏目の瞳の紅い光だけをぼんやり映す。

「そう、いい子だ……」

観月はその場にずっと立ち尽くしていた。目も口も半端に開かれたまま全身ピクリとも動かない、抜け殻のような少女がそこにいた。どれほどそうしていただろう。暗くも明るくもない曖昧な光の世界の中から、不意に観月は我に返った。

(あ、あれ……? あたしこんな所で何してるんだろう……?)

そこは控え室がある会場通路の真ん中。周囲には誰も居ない。観月は頭を振って両手で頬を叩くが、意識ははっきりとしているのに頭の中はひどく乱雑になっている。

(ええっと確か九澄の控え室を飛び出して……それからどうしたんだっけ……?)

九澄、その単語を思い出した途端に頬が熱くなる。胸の鼓動が加速していく。

(そうだ……あたしはあいつを激励してあげるんだ……。そして……そして、告白するんだ、あたしの本当の気持ちを)

目の前で両の拳を握る。もう迷わない。

(あたしは、九澄が、好き)


####


「九澄選手、時間ですよ」

係員の二年生に呼び出され、九澄はスッと立ち上がった。そして自分を取り囲んでいた友人たちに目配せする。

「ぶちかましてやれよ九澄ーー!」

「負けたら承知しないかんねー!」

(ったく、みんな人の気苦労も知らねーで勝手ばっか言いやがってよ)

九澄は心のなかで悪態をつきながら頬を緩める。

(悪くねーよな、こういうのも)

一歩一歩足を進める。心拍が否応なしに高まっていく。
これは恐怖か? もちろんそうだ。
それとも高揚か? それも正しい。
戦 うこと自体は好きではない。中学時代はケンカ屋などと呼ばれたが、しょせん身に降る火の粉を払っていただけだ。自分から殴り合いがしたくて仕掛けていった ことなど一度もない。だが自分は今、己の力を試そうとしている。それも失敗すれば大怪我は免れない状況で。明らかに昔の自分とはどこか変わってしまってい る。
だけどそんな自分を無邪気に応援する級友達の声を聞いていると、自分が今もまだ自分のままだと実感できる。九澄はこの曖昧な心境に不思議な心地よさを感じつつあった。

(それに、柊だって応援してくれてるんだからな)

想い人が自分のそばについているというだけで、なんだって出来そうな気がしてくる。結局男という生き物はそういうものなのかもしれない。
通路の先に闘技場の風景が広がる。もう少しで戦いの地に入る。その時九澄の目に、通路の出口前で逆光に照らされている人影が写った。

「観月?」

九澄にとって馴染み深い少女がそこにいた。近づいてみれば彼女は何やら頬を赤く染め、こちらをチラチラと見ながらもじもじと胸元で指を動かしている。何か言いたいことがあるけど言いづらい、そんな雰囲気だ。九澄はそれを見て無意識に微笑む。

「おめーも応援しに来てくれたのか? マジサンキューな」

「バ、バカ! 別にお礼なんて言ってくれなくていいわよ! す、す、好きでやってることだし」

観月はいかにも彼女らしい剣幕でまくし立てソッポを向く。そんないつも通りの仕草を見て九澄の緊張がすうっと緩んだ。

「なんか俺って、観月のそ~いう照れてるとこ見るの結構好きだな」

「なななななななな何言ってるのよ! べべべべべべ別にそんなこと言われたって嬉しくなんか……」

そこまで言ったところで観月が言葉に詰まる。そして顔をプイとそらして小さくつぶやいた。

「う、嬉しいわよ、バカ」

今や観月の顔はトマトもかくやとばかりに赤く染まりきっていた。九澄はクスリと笑って「ありがとな」とささやいた。

「じゃあ俺……」

九澄は軽く手を振って観月の前を横切る。
その時だった。背後から何かがドシンとぶつかり、九澄の胸をぎゅっと抱きしめてきたのだ。その力は万力のように強く、それでいてその感触はマシュマロのように柔らかい。

「み、観月!?」

九 澄の声は裏返っていた。観月はますます力を強めて九澄に一歩も進ませない。首を曲げてなんとか後ろを向くと、観月は九澄の背中に顔をうずめていて、その赤 茶色の艶やかな髪だけが見えていた。その光景を理解するとやおら背中に感じる二つの柔らかい膨らみの感触をリアルに意識してしまう。

「どどど、どうしたんだよ観月」

観月は震えるようなか細い声で答える。

「勝たなくてもいい……負けてもいい……だから無茶はしないで……無事に帰ってきて……」

「観月……」

「あたしは……あたしはあんたのことが、好きだから」

「へっ!?」

観月がばっと九澄から離れる。九澄は思わず体ごと後ろを向き、半身で目を逸らしている観月と向き合う。観月は九澄をチラリと見るなりズカズカ接近して九澄の背中を突き押した。

「返事は後で聞かせなさいよね!! ほら、さっさと行く!」

「お、おう!?」

その勢いで通路の外に出てしまう九澄。歓声が一気に膨れ上がり、一年C組の集まる一角からは鳴り物まで響き出す。

「み、観月……俺……」

九澄が後ろを向いた時、もう観月は背を向けて走り去っていた。小さくなっていく観月の背中を見つめながら九澄は心臓が今まで以上にバクバクに脈打っていることに気づく。

(おいおいおいおいおいおいマジで!? 観月が!? そんなそぶり全然なかったじゃねーかよ!?)

呆然としている九澄を見て、さっきからずっと黙って成り行きを見ていたルーシーがはあ~っと溜め息をつく。

「大賀ってばドンカンすぎー。尚っちがかわいそー」

「ええええお前知ってたのかよ!!??」

「ほらほら今はあたしとイチャイチャしている場合じゃないでしょ! アイツをなんとかしないと!」

ルーシーは九澄の背後を指差す。そちらを向けばそこには小柄で不気味な雰囲気の男、兜天元が立っていた。

「お、おう……観月のことはとりあえず後だな……」
(いやいやいやいやそんなこと言ってる場合か!? どうすんの俺!? どうすんの!!??)


####


観月は通路の隅にいた愛花に目を留めた。どうやら先程の一部始終を見られてしまっていたようだ。口を半端に開けたまま呆然と立ち尽くしている。観月は愛花の目前に近づいて笑顔を作る。

「応援……してくれるよね」

「う……、うん」

あ あ、あたしはなんてずるいんだろう。愛花の気持ちを知っていて、しかも本人がそれをはっきり自覚していないことまで知っていてこんな卑怯なことを聞いてい る。きっと友達思いで優しい愛花ならうんと答えてくれると思ったから。そして一度そう答えてしまえばその言葉が彼女の枷になるから。

(あたし……本当に卑怯者だ……)

それでもいい。誰かが言った、恋と戦争ではどんな手段も許されると。観月はそうすると決めた。


####


愛 花は自分がなぜこんなに動揺しているのかわからなった。男嫌いだったはずの親友が恋をするのは素敵なことだ。ましてその相手が信頼出来る人なら尚更だ。 きっと九澄くんなら尚っちを幸せにしてくれるし、九澄くんだって尚っちみたいな素敵な女の子が彼女なら嬉しいはずだ。それはとても素晴らしいことだし、応 援すべきことのはずだ。

ならばなぜ、自分はこんなにもショックを受けているのだろう?

2013年4月10日水曜日

エムゼロEX 17

  第十七話 一回戦終了、そして


『全校生徒の期待と共に開かれたこの大会! 一回戦第一試合では怪物一年生九澄大賀が無傷の楽勝! 第二試合では伏兵兜天元が魔法執行部の滑塚亘を剛力でもって粉砕してみせました!』

第二試合である意味「ドン引き」した観客を温め直すために実況が声を張る。

『そして続くは第三試合! この試合の勝者があの執行部長・夏目琉へと挑戦する大注目の一戦です!』

浅沼耀司は控え室で体を伸ばし準備運動に念を入れていた。しかし表情は落ち着き払っており、そのリラックスした様子からは一切の緊張は伺えない。

「勝算? やだなあ、勝算なしに参加はしないよ。」

浅沼は燦々とした爽やかな笑顔で新聞部のインタビューに答える。

「確かに夏目くんは本物の天才だよね。けど才能で勝ってる人がいつも勝つんじゃあ世の中面白くないでしょ。ま、僕だって努力と根性で売っていくタイプでもないけどさ……そうだね、あえて言うなら傾向と対策、それが鍵なんじゃないかなあ」

「つまりどんな奴にも弱点はあるし、それを突く方法は存在するってこと。そこを理解せずにただ闇雲に頑張ったって結果はついてこないよね」

「うん、そう。夏目くんを打ち破る算段はもうついている。100%勝てるとまでは言わないけどね。そこはね、信用してくれていいよ」

「え? 新宮くんについて? あはは、彼みたいな奴は嫌いじゃないよ。前時代的でさあ、なんか見てて面白いよね。けど彼ほど弱点がわかりやすい人もいないでしょ実際」

「うん、新宮くんがどう戦うかに関してはもうみんな知ってるからさ。彼への対策を立てるのは中一の計算問題を解くより易しいことだったよ」

「色々シミュレーションしてみたけど……どう考えても、僕の勝ち以外はありえないかな」

浅沼はそこまで話した所で係員の呼び出しに応え話を終えた。そしてちょっと買い物に行ってくるとでもいうような自然な足取りで闘技場へと出て行った。

『東より入場は浅沼耀司!!』

闘技場の中央近くまでやって来た浅沼は、腰に手を当てて観客席をゆったりと見回した。なるほど、確かに一年生まで含めたほぼ全校生徒と一部の教員までもがこの大会を観戦している。愛しの百草先生までいるではないか。

「やっぱやる気出ちゃうよな―これ」

自然と頬がゆるむのを抑えられない。自分はこんなにも魔法バトルが好きだったのかと少しばかりの驚きもある。悪い気分ではなかった。

(やっぱり聖凪はいい……評価されるのは自分の能力だけ。だれも僕の"家"のことなんか気にはしない)

浅 沼は古い町の名士と呼ばれる家に生まれた。跡継ぎとして大事に育てられた彼は町の誰からも特別扱いされた。小学校や中学校では教師ですら彼にへりくだり媚 を売った。彼らは浅沼耀司本人を尊敬していたのではなく、ただ彼の"家"を恐れていただけだ。彼にはそれが我慢ならなかった。
父の勧めを蹴り自 ら聖凪への進学を選んだのは、少しでも自分の町から離れた遠くの高校に通いたかったからだ。入学してからそこが魔法学校だと知り己の幸運に感謝した。ここ では誰も彼の家柄など気にしない。大事なのは魔法の実力だけ。本当の実力主義の世界だ。それこそ浅沼の求めていたものだった。ここで自分がどれほど救われ たか、他人に話してもわかるまい。浅沼は学校そのものを人生の恩人だと思っている。

(今日は聖凪に恩返しをする日だ。最高の試合を観てもらうことで)

浅沼の前に新宮一真が歩みを進めてきた。思った通りその顔からは並々ならぬ自信が溢れている。

『西より新宮一真!! パワーの"鉄腕"と変幻自在の"幻影"!! 全くタイプの異なる二人の凄腕がここで激突します!!』

浅沼は新宮を足先から頭までじっくりと観察する。身長、体重、コンディション全て事前の下調べ通り。何も問題はない。そう結論づけた。

『始めっ!!』

合図と当時に新宮が足を肩幅に広げ若干姿勢を低くする。そして両手を腰の高さに構え眼をカッと見開く。一気に爆風のような風が新宮の周囲に広がり、浅沼がわずかによろめいた。
風が収まったあとには先程と変わらぬ姿の新宮の姿。いや、そこには微妙な、しかし確かな変化があった。全身がかすかに赤っぽく変色し、各所の血管がわずかに浮き出ている。そしてただでさえ鋭い眼光は、今にも獲物を狩ろうとする獣のようにギラついていた。

「やれやれ……君はつくづくワンパターンだな。またパワーが上がっているようだけど、いつまでもそんな単純な手でやっていけるほど世の中甘かぺ

浅沼の言葉が終わるより早く、新宮の拳が顔面を撃ち抜いた。浅沼はそのまま十数メートル吹っ飛び轟音とともに壁に激突した。

『き、強~~~~~烈ぅぅぅぅぅ!! 新宮選手の鉄拳がいきなり炸裂したァァァァ!!! 早くも勝負あったかァァァァァ!!!???』

伊勢も永井もこれには唖然とするしかない。

「は、はええ……なんてスピード、そしてパワーだ……。ひょっとしてさっきの骸骨よりもパワーあるんじゃねえか?」

「さあな……そこまではわからんが、俺達が知っている頃のパワーよりも数段上なのは間違いない。どうやらあれ一本で頂点を獲るつもりらしいな」

「"身体強化魔法〈パワー・レインフォース〉"……か……。ある意味イカれてやがるぜ、あんなやり方で勝ち抜くつもりだなんてよ」

一方控え室の九澄もこれには目を丸くするしかなかった。

「なんだありゃ、魔法なのか? ただ殴っただけじゃねーか……」

小石川ボディーの音弥が口の端を吊り上げる。

「その殴っただけというのが大問題だ。何のヒネリもない原始的な身体強化魔法、まさに最も単純で最も扱いづらいバカ専用魔法だ。それ一本をあのレベルまで極めた男などそうはいまい」

「え? 単純にパワーアップできるならめっちゃ扱いやすいじゃねーか。なんでみんな使わねーんだ?」

「世 の中そう甘くないぞ。単純で習得しやすく、しかも強力……そんな魔法がノーリスクで存在すると思うか? あの魔法の最大の欠陥は、何より自分の体への負荷 が尋常ではないということだ。大きなパワーを発揮するほど反動で体はガタガタになる。最悪壊れてしまいかねないんだよ。まあ普通はそこまでの出力を出せる ようになる前に、欠陥に気付いてとっとと捨ててしまうけどな」

「じゃああいつはそんな反動承知でやってるってことか」

「そ れだけじゃないぜ。そもそも人間ってのはいきなり身体能力が何十倍になったとしてもそれをうまく扱えるはずがないんだ。走るために地面を蹴るのだって、無 意識にできるのは自分のパワーを自分で把握しているからさ。突然スーパーマンになったところで自分のパワーに振り回されてまともに動けやしないんだよ、普 通だったらな」

「ってことはあいつは……」

「ああ、反動による苦痛なんて百も承知で何度もあの魔法を使い、自分の体を酷使してあのパワーを活かす技術を身につけたってとこだろう。まったく、清々しいほどの馬鹿にしか出来んことだ」

九澄の脳裏に、以前新宮に素のケンカで圧倒された記憶が蘇る。あの時は驚いたが、それほどの過酷な訓練を積んでいる男ならあの強さも当然ではないか。
九澄はモニターに視線を戻す。浅沼は砂煙の中。しかしあのパンチを食らって平気だとはとても思えない。

「!!」

しかし浅沼は砂煙の中から悠々と現れた。その綺麗な顔には傷ひとつついていない。表情は余裕そのものだった。

「やれやれ、だからおめでたいと言ってるんだ。いくら強力なパワーがあっても、手口がバレている以上対処法なんていくらでもある」

浅沼は人差し指を立てて自分の優位を講釈する。

「言っておいてやろう。君の"鉄腕"じゃあどうやっても僕には勝てない。痛みすら与えられないよ」

微笑む浅沼。新宮はというとさほどショックを受けているという風でもなく、口を真一文字に結んだままゆっくりと浅沼に近づいていく。まったくもって無防備に、普通に歩いて接近する両者の姿に会場中が息を呑む。
顔と顔とが30センチほどの至近距離。
先に動いたのはやはり新宮だった。
ボディブロー。
浅沼の背中が拳の形に盛り上がる程の一撃。
さらに同じ腕で顔面へのアッパーカット。
浅沼の頭がまず吹っ飛んで首がぐいーんと伸び、あとから引っ張られるように体も飛んでいって地面に落下した。

(((……なんだ今の?)))

会場中の皆の頭に浮かんだ疑問。たしかに強烈なパンチだった。しかし今の浅沼の吹っ飛び方は明らかにおかしくないか。だってほら、「首が伸びた」。
数秒の間を置いて浅沼が平気な顔で起き上がる。新宮は呆れたように眉をひそめた。

「このパクリ野郎が」

「パクリ野郎とは心外だな。これは僕の『完全オリジナル魔法』だよ。第一キミの戦法こそオリジナリティのカケラもないじゃないか」

浅沼は両手で自分の頬を掴み、引っ張った。するとそれは引っ張られるままぐいーんと伸び、顔の面積が四倍ほどになる。

「"全身をゴムのように柔軟に"変化させることで"あらゆる打撃、衝撃を無効化する"身体変化魔法……その名も『ラバー・ラバー』!!!」

どん!!! という効果音を背負って浅沼が胸を張った。

『パ、パクリだーーーーーーーー!!!!』

実況が悲鳴のように叫んだ。

『これはちょっと色んな意味でマズイんではないでしょうか!!?? いえしかし、新宮選手にとっては極めて厄介な戦法であるということは間違いありません!!』

浅沼は雑音など無視して半身になり拳を構える。

「そしてここからが僕の素晴らしい『オリジナル戦術』の真骨頂……! ラバー・ラバー……」

「銃〈ピストル〉!!!」

「ぶ!!」

浅沼が拳を突き出した瞬間、その腕が一気に伸び新宮の顔を撃ち抜いた。
新宮はとっさにバランスを取ってダウンを回避する。しかしその頬には拳の跡がはっきり見て取れた。

「と」「ラバー・ラバー・スタンプ!!!」

蹴り上げると同時にその脚が伸び、足の裏が新宮の顔面にめり込む。

「バズーカ!!!」

両腕を同時に後ろに伸ばし、走って新宮に接近。至近距離で一気に腕を縮めその反動で胴を撃ち抜く。これまでで最大の打撃音が響き渡った。

「ラバー・ラバー……、銃乱打〈ガトリング〉!!!!」

腕がいくつにも見えるほどの高速のパンチ連打。新宮は全身に拳を浴びまっすぐ後方に吹っ飛んだ。そのまま仰向けで地面を数メートル滑り静止する。

「ふっ」

どや顔の浅沼。顔面蒼白の実況と観客。何やら見てはいけないものを見てしまったかのようなこの凍りついた雰囲気ときたら。

『き、決まったァァァァァ浅沼選手の連続攻撃!! さしもの新宮選手も深刻なダメージは免れないか!!??』

気を取り直して力強く仕事を再会する実況。正にプロ。(高校生だけど)
しかし新宮、さほど痛手を負ったふうでもなく泰然と立ち上がる。少々打たれた跡は残っていたが、ダメージがあるようにはとても見えない。

「しょせんパクリはパクリか。本家のパワーはまるでねえな」

小馬鹿にしたように笑う新宮。一方の浅沼も別にショックを受けているわけではないようだった。

「なるほど、さすがにこれだけで倒れてくれるはずもないか。ま、いずれにしても君が僕にダメージを与えるすべはない。逆に僕は他にもまだまだ君を負かすために使える魔法がある。勝敗の行方は火を見るより明らかだよ」

厳然たる事実。浅沼に新宮の攻撃は効かない。それはパワーの量が問題なのではなく根本的な相性の問題だ。である以上どう転んでも新宮に勝ち目はない。

「フン」

新宮が踏み込み、一気に距離を詰める。一瞬全身の力を抜く。全く回避行動を取らない浅沼に対し裏拳のようなモーションで右腕を鋭く振り、空を切る。

「……? 止まっている相手にも当てられないのかい?」

浅沼が鼻で笑う。だがその直後、その頬から一筋の鮮血が垂れ落ちる。

「!?」

一拍遅れてそれに気付いた浅沼は唇を震わせ自分の頬を撫でる。指に付着した赤い液体は間違いなく自分の血であり、自分の顔の傷から流れているものだった。浅沼の目はこれ以上ないというほど驚愕で見開かれている。

「そ、そんなバカな……」

「別に大したことはやってねえよ。ゴムってのは斬撃には弱いんだろ?」

新宮は手の平をヒラヒラさせおどける。そしてもう一度脱力してムチのように体をしならせ、腕を振る。腕先が見ないほどの瞬速。今度は浅沼の肩口が斬れた。

「…………ッ!!」

今や浅沼の全身から汗が吹き出していた。先程までの余裕はどこにもない。

「そうか、手刀だ! 手で"殴る"のではなく"斬る"……あの人らしいやり方だ」

永井が唸る。伊勢は脂汗を流し「その手があったか……!」と驚愕していた。

「さてと……まだやるか?」

獲物を前に舌なめずりする獣のように笑う新宮。

「い、いや……やめとく」

浅沼は引きつり笑いながら両手を中途半端に上げあっさりと降参した。

『決っちゃーーーーーーく!!!!』


####


『九澄大賀! 兜天元! 新宮一真! 夏目琉! 以上にて準決勝に進出する4名の顔ぶれとなりました!! 準決勝は午後一時にスタートしますのでそれまで休憩時間と致します!』

実 況のアナウンスとともに生徒たちが続々と席を立ちバラバラに動いていった。学食やパン購買は大混雑するだろう。柊愛花は友人たちに話しかけ、九澄のところ へ激励に行こうと提案した。観月だけは少し渋ったような顔をしたが、結局はその場の4人全員で控え室へ向かうことになった。
愛花たちが九澄の控え室の前に着いた時、既にC組団体ご一行と一年生執行部の面々が部屋を占拠していた。

「九澄ィィィ! 絶対優勝しろよォォォ!」

「分かったからくっつくなっつ~の!!」

なぜか伊勢弟が九澄に抱きついて当の九澄に頭を押しのけられている。お馴染みのメンバーがその光景を見ながら笑っていた。愛花も釣られて笑顔になる。なぜ部屋の片隅に小石川がいるのかはよくわからなかったが。

「九澄が優勝したらC組が聖凪優勝ってことだよな?」

「ばっかオメーそりゃ九澄1人だけだろ最強なのは」

「でもよー準決勝の相手は手強そうだぜ」

「ヘーキへーキ!! あんなデカブツ九澄ならラクショーよ! な?」

(勝手なことばかり言ってんじゃねー!)

九澄はほとんど涙目になりながら周りの勝手な盛り上がりに頭を痛めていた。本当は次の相手への対策をじっくり練りたかったのだがこれではそれどころではない。

(まあ大体やることは決まってんだけどよ……)

ど うせ自分の取りうる作戦などほとんど選択肢はない。今から不意打ちに行くのでもなければ、あとはせいぜい細かい手順を考えるぐらいだが、そんなものはいく ら詰めても現場の状況でいくらでも動いてしまうものだ。結局のところベストコンディションで臨む以外にやるべきことなど今はないのかも知れなかった。

「そら、愛花、愛花」

愛花は後ろから声をかけられ振り返る。すると久美とミッチョンがニヤニヤと下卑た笑みを浮かべていた。

「あれ持ってるんでしょ~? 渡してあげなよ~」

「ちょ、ちょっと、いきなりなんなの」

「あれれ~持ってないの~? それじゃあそのバッグはなんなのかなぁ~?」

久美とミッチョンはますます意地悪そうに笑いをこらえる。愛花をからかうのが楽しくてたまらないといった様子だ。

「うう……わかったってば……」

愛花は顔を赤くして遠慮がちに人混みをかき分けていく。持ち前の押しの弱さのおかげで少々時間がかかったがなんとか九澄の前まで辿り着いた。

「あ、あの~九澄くん」

九澄が振り返ると、愛花がちょこんと立っていた。何やら照れているような、遠慮しているような伏し目がちの直立姿勢で、小さなカバンを両手で下げている。すると愛花はそのカバンをサッと九澄の目の前に差し出した。

「お、お弁当作ってきたの。良かったら……どうぞ」

「お お お弁当!!??」

それはまさしく輝いていた。九澄にとってこの地球上に並び立つもののない究極の料理、それが愛花の手作り弁当である。これに比べたらどこぞの美食親父の至高のメニューなどカスにすぎない。なんちゅうもんを、なんちゅうもんを作ってくれたんや……。

「そ、その……試合前にあんまり食べないほうがいいんなら別にいいんだけど……ほら、クラスマッチの時喜んでくれたからつい」

「うおおおおおマジありがとな柊!!! 全部食うから!! 今食うから!!」

九澄は感涙にうちひしがれた。最近こういう嬉しいイベントが全然なかったから感動もひとしおである。周囲では大門が引きつった顔で歯ぎしりし、それ以外の連中はヒューヒューなどと二人をはやし立てていたが、九澄がそれを気にするはずもなかった。

「あれ、そういえば観月さんどこ行ったんだろ」

最初にそのことに気付いたのは久美だった。一緒にこの部屋に来たはずなのにいつの間にか見当たらない。

「さあ……トイレかなんかなんじゃ」

ミッチョンが冷静に答える。確かにそれぐらいしかふらりといなくなる理由がない。久美は「ならいっか」と納得した。


####


(駄目……やっぱりあんな化け物に九澄が勝てるわけない……! 絶対にボロボロにやられちゃう!)

観月は廊下を駆けていた。居ても立ってもいられなかった。あの控え室にいるのは辛すぎる。あんな作り笑顔の九澄を見るのは。

(あいつきっと無理をしてるんだ……みんなを不安がらせないために……いつもいつもそうやって一人で抱え込んでいたんだ……!)

観 月は九澄の秘密の核心に辿り着いたわけではない。しかし彼が実は魔法を自由に使えないということはほとんど確信していた。二重人格なのかそれとも何か他の 条件があるのか、はっきりしたことは分からないが、いずれにせよ普段のあれはある種のハッタリなのだ。一回戦、九澄は自分からは魔法を一切使わず相手の魔 法を破って降参させてみせた。あんな手を使ったのはきっと他に方法がなかったからだ。恐らくなんらかの魔法アイテムか何かを使ってその場を切り抜けたに違 いない。

(だけど次は駄目……! あんな化け物、工夫してどうこうなるなんて相手じゃない……! ヘタしたら……ヘタしたら最悪……。嫌! 考えたくない!)

今にも涙がこぼれてきそうだった。どうしてあいつは何も話してくれないのか。あたしなら力になってあげられるのに。九澄の秘密ならなんだって守ってあげるのに。

(本当は分かってる……。あいつはあたしのことなんて全然意識してないってこと……。まるっきりあたしの空回りだってこと……)

(だけど……それでもあたしはあいつを守りたい! あいつを守るためならあたしは……あたしはなんだって出来る!)

観月は廊下の隅の控え室に飛び込む。そこは九澄の部屋ではない。部屋の扉には『兜天元』と書かれている。
部屋の片隅に一人で座っていた兜が観月を睨み上げる。その青白い顔と濁りきった目つき、ひび割れた唇はおよそ健康な人間のものではなかった。
観月は一瞬怖気づくが、すぐにつばを飲み込み拳を握る。そしてかすれるような声で叫んだ。

「あたし、なんでもします……! だから次の試合、棄権してください!!!」

オリキャラファイル

ここではエムゼロEXの非原作キャラクター(オリキャラ)の設定を公開します。
なお、ここの内容は本編第17話までのネタバレを含みます必ず本編を読んでから閲覧してください。

  • 夏目琉:原作でも顔は登場している三年生執行部部長。長身長髪のクールな天才肌で、異名はウィザード。聖凪史上指折りの鬼才という声もあるが、その実力の全貌はまだ秘密。容姿端麗、成績優秀、運動神経もトップクラスで芸術センスもありとなんでもござれのハイスペッカー。有能すぎて学校生活に退屈しているらしい。当然女性にはモテるが特定の彼女はいないとか。学園の嫉妬と羨望を一身に受ける存在だ。

  • 時田リサ:“Gの旋律”時田マコの姉という設定はもちろんオリジナル。容姿は原作に登場済み。公務はしっかりこなす割に面倒くさがりな性格で、無意味なバトル大会に出ようなどという気は一切ない。もちろん魔法の実力自体は非常に優秀ではある。ウブで天然な妹と違って女の武器の使い道を心得ており、色仕掛けでオトコを意のままに操ることも少なくないともっぱらの噂。夏目とは付き合っているように見られがちだが、お互いその気はないようだ。

  • 望月悠理:新任の生徒会長。ボーイッシュ系の眼鏡っ娘。現在は二年生。いるんだかいないんだかわからなかった前任の会長と異なり、良くも悪くも何かと存在感を発揮する。会長補佐官として任命した巴ツインズとは古い付き合い。何やら企んでいることがあるようで、九澄の正体に並々ならぬ関心を寄せている。伊勢兄とは中学時代の同級生で、ちょっとした因縁持ちという噂。甘い物が大好物で、いくら食べても太らないのが自慢だそうだ。

  •  巴智人:巴ツインズの♂で、戸籍上の弟。髪は短いが顔立ちは姉に瓜二つで非常に女性的。体格も小柄で細身なので女装すると本気で区別がつかない。年上の女性にモテるが本人は年下好きらしい……。

  • 巴智代: 巴ツインズの♀で、戸籍上の姉。この姉弟はお互いの魔法力をシンクロさせることでその出力を飛躍的に高めることが出来る。その上日常の仕草や返事までシンクロしているので慣れない人だと本気でビビる。弟をイジるのが趣味。

  • 新宮一真:三年生最悪の問題児とまで言われる粗野な男。鍛え上げた肉体を身体強化魔法〈パワー・レインフォース〉で更に強化して戦うゴリゴリの肉弾系だ。並の魔法使い相手なら魔法を使われる前に素で殴って戦いを終わらせてしまう。「彼女」である紀川沙耶を無理やり従えてこき使っているという噂があるが、実際には紀川に対する新宮の態度はむしろ過保護ですらある。二人の本当の関係を知るものはほとんどいない。

  • 紀川沙耶: 新宮一真の「彼女」であり、新宮以外とは滅多なことでは口を利かない超無口無表情ガール。一応授業中に当てられた時など必要時には喋る。やせ型の長身にポニーテールという出で立ちで、魔法のセンスは結構上位レベル。実は聖凪入学当初は明るい感じの普通の女の子だったという証言がある。

  • 兜天元:三年生の地味系男子。小柄でかなり存在感が希薄なタイプ。昔は執行部に憧れていたが、選考漏れして以来意識して距離を取ってきた。どういうわけか最近急に粗暴になり人格が変わったと噂されている。元々の彼はネトゲと動画サイトをこよなく愛する普通のインドア派だった。

  • 浅沼耀司: 文武両道バランスよく揃った社交的な三年生。魔法の実力はかなり高く、執行部以外で彼らと真っ向からやりあえると言われる数少ない腕利きの一人だ。その強みは特定の魔法に頼らない戦術の幅広さで、場面に応じた魔法を使いこなす臨機応変力には定評がある。しかし意外に打たれ脆いとも。好きな女性のタイプは百草先生で、三年生校舎に移って会えなくなった時は一晩泣いた。

2013年4月4日木曜日

エムゼロEX 16

  第十六話 掌の中の誇り


九澄大賀は控え室のモニターを食い入る様に見つめていた。今やっている試合の勝者が次の自分の対戦相 手になるのだから当然だ。選手の一人は自分とも多少縁のある滑塚亘。三年生の優秀な執行部員であり、この試合における下馬評では明らかに有利なはずだっ た。だがその相手、兜天元が奇妙な魔法を発動したことで空気が一変する。兜は宙に浮き、その体は不気味な黒い炎に包まれている。炎はやがて4,5メートル ほどの大きさの骸骨のような姿に成形されていき、兜を腹の中に抱えているような形になった。その中心で兜はニヤニヤと薄気味悪い笑みを浮べている。

「なんだあの魔法……? 骸骨っぽいところなんか支部長のロッキーにちょっと似てるけど、もっとタチが悪そうだよな」

九 澄は自分の肩にちょこんと乗るルーシーに声をかけた。ルーシーは「うえーんこわいよー」などと九澄の頭に抱きつく。本気で怯えているというよりも、女の子 がホラー映画を見ながら彼氏に抱きついているような光景だ。その時後ろから突然声をかけられ九澄はビクッと震えてしまう。

「やれやれ、危機感が足りないなお前らは」

九澄が振り向いた先にいたのは筋骨隆々の大男。角ばった濃い顔立ちが不敵にたたずんでいる。それは九澄がよく知っている顔だった。

「こ、小石川?」

九澄は「しまった」と冷や汗を流す。ひょっとしてルーシーとの会話を聞かれてしまったのではないか。愛花や観月ならともかく、自分を敵視しているこの男に彼女のことを知られたくはない。

「ななななななななんの用だよオメー」

小石川はクスリと微笑んだ。

「そう焦るな、ボクだよ。花咲音也だ」

「へ?」

九澄は目の前の「小石川のような男」の発言に呆気に取られる。花先音也とは今は幽霊のような姿で地下の施設に引きこもっている聖凪高校前校長の名だ。

「感謝しろ、お前の醜態が見たかったんでわざわざ足を運んできてやったんだ。この男は学校の外れで黄昏れていたんでちょっと体を借りさせてもらったのさ。本来の姿でこの辺りをうろつくといちいち面倒なんでな」

「体を借りたって……じゃあ小石川はどうなっちまったんだ?」

「この男の精神なら今は眠ってもらっている。事が済んだら何が起きたのか全くわからないまま目覚めるというわけだ。お前の秘密がバレる心配はないから安心していいぞ」

「このジジイが一番タチわりーな……」

九澄は胸を撫でおろしつつも目の前の音弥 in 小石川のゴーイングマイウェイっぷりに顔をひきつらせる。敵に回すとロクな事にはならないことだけは確かだ。

「そんなことよりあの魔法、お前はどう思う?」

音弥はモニターに視線を移し、深刻さのカケラもない気軽さで九澄に問いかける。九澄はしばらく沈黙してから無表情でつぶやいた。

「……リアルじゃない」

音弥は片眉を釣り上げて九澄を見下ろす。

「わかるのか?」

「いや……うーん……なんとなく。似たようなのは前に見たことあるからよ」

「ふーん……。まんざら恥を晒しにこの祭りに来た訳じゃなさそうだな」

音弥(小石川ver.)は頬をゆるめてモニターに視線を戻す。

「ま、どこのどいつの差し金かは知らないが……お手並み拝見といこうかね」


####


滑塚亘は全身から汗を流していた。目の前で対峙すればこのドス黒いドクロの巨人のヤバさはヒシヒシと伝わってくる。少しでも気を抜けばたちまちのうちに腰を抜かしてしまうだろう。

「だからって……ビビってられっかよ!」

先手必勝。十八番のマジックハンドで本体である兜本人を直接狙う。だが黒い炎が壁となりどうしても中の本体を掴むことができない。遠隔系の魔法に対する耐性があるということだ。とはいえここまでは予想通り。

(それだけで勝ったつもりになってんじゃねえぞ!)

腰を落とし戦闘態勢に入る。黒い細目に闘志が宿る。滑塚は燃えたぎっていた。ここで自分が負ければ執行部そのものがコケにされる。そんなことを認めるわけにはいかない。

上。

滑塚が飛び退いたのは判断というよりほとんど反射だった。直後に骸骨の腕が地面に叩きつけられる。轟音が巻き起こり闘技場の床に亀裂が走る。巨体に見合わぬスピード。滑塚の背筋が凍る。

(まともに食らったらマジでヤベーな……)

執行部の捕獲人を見下ろしながら兜が不気味に笑う。

「ヒヒヒ、どうしたよ執行部? 逃げ回るしかできねえみたいだな……」

「ケッ……好き勝手言いやがって。言っとくが執行部ってのはおめーが思ってるほどお気楽な商売じゃねえんだ。体を張って学園の平和と安全を守るってことがどんなに大変かわからねーか?」

「知らねえよ……。俺が知ってるのはてめーらは気に入らねーってことだけだ!」

兜が駆け出す。骸骨の巨人が地面を蹴り猛然と滑塚に迫っていく。その時滑塚が選択した手段は、やはり自分が最も頼りにする最高の魔法、最高の相棒である"魔手〈マジックハンド〉"だった。

(できれば"この戦法"は切り札として取っておきたかったが……そうも言ってられねーようだな!)

息を一気に吸い込み、一気に吐く。実戦ではぶっつけ本番に近い。だが、やるしかない。
そうさ、俺はやれる。
俺にはできる。
さあ。
今!

兜が巨人の腕を力任せに振り下ろす。滑塚が自分の体を切るように水平に右腕を振る。
交差。
直後、巨人は反転しながら宙を舞っていた。一拍置いて巨人が地面に墜落し、鈍い音が響きわたった。
観客一同が目を丸くする。

『おおっとこれは何が起きたんだーーー!!?? 絶体絶命に思われた滑塚選手、兜選手をひっくり返してしまったーーーーー!!!』

「おおー! なんかすげーぞー!!」

滑 塚は大きく息を吐き、きびすを返して眼下の巨人を見据える。巨人はしばらくじっとしていたが、ややあってゆっくりと体を起こした。巨人の腹の中で兜はその 顔をますます醜悪に歪めていた。滑塚は半身になって全身の力を抜き、空を見上げた。魔法空間特有の真っ白な空。熱くもなく寒くもなく暗くもまぶしくもない この平坦な世界で、滑塚は自分の心臓の鼓動に耳を澄ます。

(たかぶっているんだな、俺は……)

黒いドクロの巨人が迫る。今度はさっき以上のスピードだ。観客席からひきつったような悲鳴が上がる。
その強靭な手が滑塚を押しつぶそうとしたその瞬間、滑塚の体が居合い抜きのように動き、一閃。
またしても巨人の躰は放物線を描いた。ドスンという響きとともに巨人が地面とぶつかり合う。
滑塚は冷酷な目で巨人を見下ろした。

「お前は大きな勘違いをしている……。俺達執行部は贔屓やインチキで強くなったわけじゃない。大きな力を手に入れたらすぐに力に溺れてしまうお前ような奴にはわからんことだろうがな」

(俺には何の才能もなかった――)

巨人が再び起き上がる。今度は立ち上がるのではなく、四つん這いの姿勢から一気に跳びかかる。
ぐるん。
どすん。
同じ事が三度起きた。
観客は俄然沸きあがった。よくわからないが凄いことをやっている。これが執行部の実力かと。もはや会場中が滑塚の味方になりつつあった。

「こいつは一体……?」

伊 勢が身を乗り出す。元執行部だけに滑塚の能力はよく知っていたが、目の前の現象はその知識だけでは理解できない。"魔手〈マジックハンド〉"は確かに向 かってくる相手を手で触れることなく投げ飛ばすことも出来る魔法だ。だがあれほどの体格差、パワー差がある相手をただ掴んで投げるなどということがはたし て可能なのだろうか?

「そうか、滑塚さんはただ単に魔法で掴んで投げているわけじゃない……。柔術や合気道の技術を組み合わせているんだ」

「なんだって?」

永井の言葉に伊勢は眉をひそめる。

「ど んな巨体だって、動けばそこに必ず隙が生じる。相手の重心や力の方向を見抜き、瞬間的に力を加えて崩し、払う。あるいは相手の勢いを利用して投げる。直接 手を触れずに魔法の手でやっているとはいえ、これは正に武術だ。といってもあの人は元々そういう武道の心得があったわけじゃない。あれはむしろ、自分の魔 法を活かすために磨きぬいた技だということだ……」

「確かにマジックハンドとそういう技術を組み合わせればどんなデカブツだって投げ飛ばせるかも知れねえが……。信じられねえよ。武道の素人がそこまで辿り着けるか?」

「現実を見ろ、現にあの人はそれをやってのけているんだ!」

言ってるそばから、地響きとともに巨人がまた背中から落下した。
滑塚の頭は澄みわたっていた。もはやどこにも恐怖心はない。あの骸骨がどんな風に襲いかかってきても100%投げられる。その確信があった。自信とはコンビニで買えるような気軽なものではなく、己が地道に積んできた修練にこそ宿る。滑塚はそれを体現しつつあった。

(俺が聖凪に入った時、俺は誰よりも魔法が使えなかった。授業に付いて行くのも苦痛だった。退学だって考えたさ――)

(魔法のセンスがまるでなかった俺は、たったひとつの単純な魔法に活路を見出した。俺が初めてまともに習得した魔法――俺の相棒、"魔手〈マジックハンド〉”)

(俺にはこれしかなかった。ただ『掴むだけ』の曲芸みたいな魔法。俺はこれを磨くしかなかった。どんなにバカにされようと、笑われようと――)

――なあ滑塚、お前も執行部に入らないか?

――馬鹿言わないでくださいよ先輩、俺みたいな落ちこぼれがあんなエリート集団で何が出来るんですか

――馬鹿を言ってるのはお前のほうさ。お前のその魔法、執行部のためにあるようなものじゃないか

――だけど俺にはこれしか出来ません

――かもな。だがお前は"誰よりも上手く"それが出来る。それで充分さ

――それにお前は最高の努力家だ。お前は決して慢心で傲慢になったりはしないだろう? それが執行部員にとって一番大事なことなのさ

――自分を信じてみろ、滑塚。執行部はお前を歓迎する

(俺は見つけた。自分の居場所、自分の力を活かす場所。あれ以来俺は誓った。俺は俺にできることをやる。何があろうとも――)

(俺はこの居場所を守る。そして執行部員としてこの学校の平和を守る。それが先輩たちへの恩返し、後輩たちへと遺せるもの――)

(執行部には本物の天才がいた。俺はいつか、あの天才にだって勝ってみせると誓った。努力が天才を上回ることだってあると証明するために――)

(だから――)

(だから――!!)

「お前なんざに……負けちゃいられねえんだよォッッッッ!!!!」

投げる。
投げる。
投げる。
投げる。
投げる。
投げる。
何度でも。
投げる。
投げる。

どれほど続いただろう。延々と繰り返された攻防の果てに、滑塚の体力に僅かな乱れが生じ始めた。それは人間が決して避ける事の出来ない「疲れ」という名の制約。失速と呼ぶには余りにかすかなほころび。
この戦いにおいて、それは致命的だった。

――どん。

人身事故と同じ音。
巨人の腕が滑塚を叩き飛ばした。
宙を舞い、一回転、二回転。背中から落下。流血と全身打撲。脳震盪。
たった一度の失敗が、全てをぶち壊した。

『な、滑塚選手、凄まじい飛距離を吹っ飛んでしまいました! 見るからにダメージは甚大です! これはもう……勝負あったのではないでしょうか!!?』

実況が叫ぶ。誰にもその言葉を否定出来ないほど、滑塚は見るからに酷く傷ついていた。闘技場の隅で医療班が突入の準備を整える。彼らが結界内に入ればそれと同時に試合は終了する。
震えながら、満身創痍の男が立ち上がった。今にも崩れ落ちそうなおぼつかない動きで、うつろな目で。フラフラと、フラフラと、ただ終わることを拒否するかのように。

「負け……られねえ……。こんな……ところで……」

もはや兜は走らなかった。滑塚のダメージを値踏みしながらゆっくりと歩を進める。その姿は処刑台の囚人に向かって歩く執行人と何ら変わらなかった。

「シネ」

兜が楽しそうにつぶやいた。
巨人の腕が、ぜんまい仕掛けの速さで大きく振り上げられる。

「ちく……しょう……」

もはや滑塚の腕はぴくりとも動かなかった。どうにもならない。それでもなお、負けたくなかった。負けを認めたくなかった。

(ごめん――先輩――)

『勝負ありっっっ!!!!!』

巨人の腕が振り下ろされるより前に決着が宣言された。安全を最優先した当然の処置。
同時に滑塚が崩れ落ち、膝をつく。彼は失神していた。
兜はとどめを刺せなかった不満からか、勝ったとは思えない憮然とした顔で魔法を解き、一言も発さず歩いて退場していった。医療班に囲まれる滑塚を一瞥することは決してなかった。
観客席はずっと凍りついたままだった。


####


「……お、俺次あんなのとやるの……?」

九澄が震え声で顔をひきつらせる。それを見ていた小石川――じゃなくて音弥は鼻で笑って九澄を見下した。

「ああそうだ。チビったか?」

「チビらねーよ!」

「大賀ならあんなのラクショーだもん!」

ルーシーが眉を吊り上げて割り込む。

「それも根拠全くねーけどな……」

九澄は溜息をついたが、すぐに顔を引き締めてモニターに視線を戻した。

「まああんなのとゼッテーやりたくねーけどよ、本当なら」

九澄は汗を垂らしながら苦笑する。

「なんとかするっきゃねーよな、実際」

その顔は本気で怯えているという風に見えるものではなかった。

2013年3月29日金曜日

あれこれEX

『エムゼロEX』は言うまでもなく、叶恭弘氏による漫画作品『エム×ゼロ』を元にした二次創作作品です。他のあらゆるファンと同じように、僕も原作の打ち切りじみたラストには納得がいかず連載再開を待望したものです。しかし残念なことにそれが叶わないことは99.9%間違いないわけで、エムゼロは今までもこれからも「打ち切られて残念なジャンプ漫画」を語る上で必ず挙げられる一作として残り続けるでしょう。
しかしネット時代のファンにはただ連載終了を嘆き編集部を恨む以外にもう一つできることがあります。自分で続きを夢想し、それを形にして発表することです。 そうすれば同じ原作のファンから反響や感想をもらうことだって出来るのです。
『エムゼロEX』はあくまで無許可の二次創作であり本物の「原作の続編」ではなく、本物は叶氏にしか書けません。 だけどありえたかもしれない無限の可能性の一つとしてこの作品を楽しんでもらえたら、一原作ファンとしてこんなに嬉しいことはありません。

実を言うと『エムゼロEX』は結構以前から(それこそ打ち切り直後から)構想だけはありましたが、長いこと実際に執筆しようとはしませんでした。単純に忙しかったり時間がなかったということもありますし、なかなかちゃんとしたストーリーとしてまとまらなかったという理由もあります。それを去年の初夏に書き始めたきっかけは、実のところ特にありません。あえて言うならようやく頭の中の構想がまともに一本につながり始めたということでしょう。ちなみに題名はエイヤッで適当に決めました。

僕が『EX』で課しているテーマはいくつかあります。 原作のキャラクターを尊重すること。ラブコメや人間関係を進展させること。原作では触れられなかった要素に挑戦すること。原作とは異なる結末を迎えること。
前2つは説明不要でしょう。後ろ2つは要するにやりたいことをやるということです。具体的には三年生をたくさん出すことや、強キャラ同士のガチンコバトルを描くこと、そして原作では曖昧だった設定や聖凪高校の謎について自分なりの答えを出して行きたいとも思っています。
僕が書く以上『EX』は原作よりバトル寄りの作風になります。これはもう不可避でそうなります。現に現在進行形で天下一武道会をやっているわけですけど、まさにこれは僕好みの展開なわけです。 また同時にお話の都合上まとまった数でオリキャラを出しています。オリキャラの登場を望まない人も多いであろうことは承知していますけど、僕が書きたい展開のために彼らは不可欠なのです。
言うまでもなくオリキャラが原作キャラよりも優遇されるようになると二次創作としての魅力が失われます。世の中にはオリジナル主人公が原作キャラを蹂躙していくような二次作品もあるわけですけど、それは僕が書きたいと思うものではありません。
結末についてですが、もちろんネタバレはできませんが、「原作と同じラストを書いてもしょうがない」ということは決まっています。つまり「転校して本当の魔法が使えるようになる」という最終回にはならないということです。またどのヒロインと結ばれるのかということも非常に重要な要素ですが、これについてはまだ何も確かなことは言わないことにしておきます。叶氏の作風だとメインヒロイン(愛花)エンド一択になりますけど、『EX』に関してはそうなるかもしれないしならないかもしれない、としか今は言いません。

それではこれからの『EX』にご期待ください。


あ、それと感想、コメントは何よりも励みになります! 大したことじゃなくても書いてくれたらすっごく喜びますので、良かったらいつでも書いてください(^O^)

エムゼロEX 15

  第十五話 霧中


九澄大賀には夢がある。いつの日か本物のゴールドプレートを手にし、想い人の願いを叶えてあげたいという夢が。その夢のためならどんな困難でも乗り越えてやるという決意を握り締めている。
九澄大賀には秘密がある。秘密ぐらい誰でも持っていて当たり前だが、九澄の場合その秘密の重要レベルが他の高校生の比ではない。バレれば確実に自分はこの学校における籍を失い、記憶も消されて路上に放り出されるだろう。幾人かの巻き添えとともに。

今、その秘密と夢がまとめて散ろうとしていた。

「対象者の記憶、経歴、黒歴史、その他あらゆる個人情報を本人が忘れていることまで含め一切合切ノートに書き記す!!! それがこの魔法 "完全なる人物百科〈ペルソナルペディア〉"!!!」

「な……なんだってーーー!!??」

一体誰が想像しただろう。「最強を決める」という名目で開かれたこの大会に、全く違う目的で参加している者がいたことを。唯一つ、九澄大賀の秘密を暴きたくて参加している者がいたというその事実を。
柊父が顔を歪め机を両手で叩く。その必死の形相に実況女子がたじろぐ。

(なんとかしろ……! なんでもいいからなんとかしろ、九澄!!)

解説担当としての中立性など気にしている場合ではない。九澄の秘密が白日の元に晒されれば、彼もまた失職するのだ。
九澄は全身に力を込めてツタを千切ろうとしながら叫ぶ。

「てめー……最初っからそれが目的だったのか!?」

今や望月のペンはそのオーラが導くままにノートの上を走り始めていた。手でペンを動かしているのではない。ペンのほうが手を引っ張っているのだ。

「うん、まあね。キミの情報はプロテクトが堅くてさ……どうしても知りたいことがわからなかったんだ。だったらこれが一番早くて確実でしょ?」

「そんなこと知ってどうしようってんだ!」

「さあね、後のことなんてそれから考えればいいじゃない。あたしの勘じゃキミの秘密はこの聖凪高校そのものの秘密と密接に関わっている……違う? もしその通りなら、あたしの夢が一歩実現に近づく」

「夢……だと……?」

望月は涼しげに微笑むだけでそれ以上答えようとはしなかった。そのやり取りのさなか、ノートのページが手に触れることなくひとりでにめくられる。一枚のページが埋まってしまったのだろう。もはや九澄には一刻の猶予もなかった。

(クソッタレ……なるべく温存しときたかったが、そうも言ってられねえ……!)

瞬間的に体を脱力し、精神を集中させる。そして大きく吸い込んだ息を吐くと同時に一気に力を込めた。

(エムゼロ、全開だ!!)

一 瞬、九澄の全身がかすかに発光した。その光はペルソナルペディアの対象者を覆うオーラに比べればはるかに微弱だったため、外部の目からは全く捉えることが 出来なかった。だがその直後九澄の体を覆っていた太いツタがみるみる細くなり、同時に望月のペンがピタリと静止する。ペルソナルペディアの自動筆記がス トップしたのだ。望月の目が見開かれる。

「え……?」

九澄が自分を弱々しく縛るツタを引き千切り、望月に向かって突進してくるまではほとんど一瞬だった。スピードが違う、腕力が違う。既に魔法力を使いきった望月に抵抗する手段はなかった。

「おらあっ!!」

九澄は電光石火の早業でノートを奪い、即座に距離を取ってそれを力ずくで破いた。破いたものをまた破き、やがて原型がなくなるまで破いてから一部をポケットに突っ込んだ。九澄は冷や汗をダラダラと流し肩で息をしながら勝ち誇った。

「ハァ……ハァ……。これでお前のくだらねー計画もおじゃんだな……」

望月はぽかんと口を開けながら突っ立っていた。そして大きく溜息をついて顔に手を当てた。

「あらら……失敗かぁ」

「これに懲りたら他人の秘密を暴こうなんてくだらねー事考えるんじゃねーぜ。誰にだって人に言えないことぐらいあるんだからよ」

九澄はキメ顔を作り直し望月をビシっと指差す。動揺の跡など欠片も感じさせない堂々たる態度。こういうのは最後の締めが重要なのだ。ついでにルーシーも誰にも気付かれることなく同じポーズで勝ち誇っていた。九澄以上に誇らしげな顔である。
望月は肩をすくめると、観念したように両手を上げて大きく息をついた。

「ま、しょうがないか。じゃあ降参」

「へ?」

望月のサバサバした態度に九澄は呆気にとられてしまう。あれだけの手間暇をかけてこんなややこしいことした割に諦めが早すぎるように思えた。

「審判さーーん! 聞いてるーー? 今の魔法であたしの魔法力空っぽになっちゃんでーー! ギブアップしまーーーーす!!」

『え……? あ……えっと……決っ着ーーーーく!! 勝者、九澄大賀!!』

観 客全員がポカンとする中、九澄の勝利が公式に宣言された。もはや結果は揺るがない。何もかもが唐突だった。望月がペンとノートを出して何事か書き始め、九 澄がそのノートを奪って破き、そしたら望月が降参した。一体この勝負は何だったのか? あるいは望月の喋った魔法の内容が観客に聞こえていたならもう少し反応が違ったかもしれない。だが実際には結界に阻まれ、魔法名すら観客には聞きとれな かった。つまり一連の出来事の実態は全く伝わっていないのだ。

「……わ、わからん……。彼女は何を企んでいたんだ……?」

目の前の事態が理解できないのはもちろん"二年生最強"永井龍堂も同じだった。何やらとんでもない陰謀が張り巡らされているとまで考えたのは単なる自分の妄想だったのだろうか?

「……あいつは昔から全く意味不明だ……」

永井の隣、伊勢聡史が吐き捨てた。

その頃九澄を応援する女子達も首を傾げていた。

「うーん、なんかよくわからん結果だったな。ま、相手の切り札を一発で破った九澄がスゲーってことかね?」

久美がポリポリと頭を掻く。ミッチョンは顎に手をあててううむと唸っている。

「きっとそうだよ。あの人も二年生代表なんだからきっとすごい魔法だったんだと思うよ」

愛花だけは素直に九澄を称える。実に嬉しそうな笑顔だ。一方観月は無言のまま硬い表情でじっと九澄を見続けていた。
男子勢の反応は現金なものである。

「なんかよくわかんねーけどさっすが九澄! 余裕の勝利だぜ! そのまま優勝しちまえよ九澄ぃー!!」

「うおおおおC組バンザーーーイ!」

伊勢弟が元気よくエールを送り、そこに津川やら堤本やらも加わってC組男子はお祭り騒ぎだった。いつの間にやら「われらが一年C組九澄大賀」「九澄絶対優勝」などという垂れ幕まで広げられている。浮かれた行動には違いないが、C組の団結力と九澄の好感度をよく表していた。

九澄、望月はそれぞれ逆方向の出口に戻って行く。はしゃいで頭上を飛び回るルーシーとクラスメートのどんちゃん騒ぎに苦笑しながら九澄は思案した。

(ふう……なんとか無事妨害できたけどほんとにこれで一件落着だったのか……? 肝心なところがバレてなきゃいいんだけど……本人が失敗って言ってたし、あの様子じゃ大丈夫っぽいかな。一回戦で"切り札"使わずに済んだし、まあ悪くない結果かもな)


####


「どうやら失敗したようだな。大口を叩いていた割にはあっけないものだ」

「そう言わないでくださいよ。それなりに収穫はあったんですから」

控え室へと続く廊下、他の誰からも見えない場所で望月は、壁にもたれて立つある男と会話していた。男はメガネをかけた大柄な中年だ。

「収穫……? ほう、なんだそれは」

「それをここで喋ったら面白くないじゃないですか。それに調べなきゃいけないことも出来ましたから、結論を出せるのはしばらくしてからですね」

「……勝手なことを……」

「ま、今日はこの大会の結果を見届けましょうよ。九澄くんならもしかしたら……あなたの教え子を食っちゃうかもしれませんよ、教頭先生」

「ありえん話だ……誰も奴には勝てん。私の"最高傑作"にはな」

教頭先生と呼ばれた男。聖凪高校の重鎮・鏡昭司は無表情のまま眼光を光らせた。


####


『さあ気を取り直して行きましょう第二試合!! 東より執行部の"捕獲人〈スナッチャー〉"滑塚亘!!』

滑塚がゆっくりと歩みを進める。表情は読みづらいがそれはこの男にとっていつものこと。彼はこの一回戦を圧勝し、二回戦で九澄にリベンジすることを誓っていた。

「おおーっ、いつもより頭が光ってるぞ! 奴は本気だ!」「後光が差してるぜ滑塚ーー!」

「うっせえ!!」

級友からの遠慮のないヤジに思わず突っ込む滑塚。

(落ち着け俺……。一回戦は問題じゃねえ、問題なのは次の九澄だ。いまいちよくわからん試合だったが奴はあっさりと勝利した……。それでこそ俺が狙うに相応しい男だ)

滑 塚は大きく深呼吸し、眼の前に現れた対戦者を睨みつける。短身矮躯、悪く言うならチビモヤシ。どう見ても強そうには見えない地味な外見だ。かつては同じク ラスだった滑塚はある程度この相手の力量を把握している。それなりに実力があるのは確かだが自分が負ける相手ではない――それが滑塚の見立てだった。

(秒殺で決めてやる!!)

身構える滑塚に対し、対戦相手は眉間にシワを寄せて睨み返す。闘志が溢れているというよりはむしろ苦虫を噛み潰したような苦い表情だった。

「気に入らねえよなぁ、一年のくせにゴールドプレートだなんてよ……。ズリィんだよなぁ……てめぇら執行部は……」

「はあ?」

「いつもそうだ……。いつもいつもてめぇら執行部ばっかり贔屓されやがってよ……ウゼェんだよてめぇら……マジウゼェんだ……」

男の表情がいよいよ醜く歪みだす。滑塚はそのただならぬ様子に眉をひそめるが、気圧されないためにも強い態度で応じる。

「……執行部に不満があるなら別の機会に言えよ。ここはお前の不満を書き連ねるネットの掲示板じゃねーぞ?」

「ヒヒヒ……ウゼェ……マジウゼェ……」

(こいつこんな変な奴だったか……?)

その悪態といいい表情の醜さといい滑塚の記憶にある元クラスメートとは似ても似つかない。まるで悪霊にでも取り憑かれているかのようだ。

(冗談じゃねえ、こんなのにまともに付き合ってられるか。ムカつくがとっとと終わらせてやる)

滑塚は拳を固く握り静かに息を吸った。

『滑塚亘vs兜天元、始めっ!!!』

合 図が響くのと滑塚が右腕を突き出したのとはほとんど同時だった。滑塚はその場を一歩も動かず空中を「掴む」。途端、5メートル以上離れた位置にいる兜が 「吊り上げ」られた。その顔面には人間の手の跡がくっきり見える。離れた対象物を自在に掴むことのできる滑塚の十八番"魔手〈マジックハンド〉"。ただそ れだけのシンプルな効力ながら、掴まれた側にはどうすることもできない極めて強力な捕縛魔法である。

『おおっと滑塚選手、いきなりのマジックハンドです! しかも禁断の顔面掴み! これは痛い! 早くも勝負あったか―!?』

本来温厚で冷静な滑塚が相手を不必要に傷つけるような魔法を使うことはまずない。だが滑塚の細目からは彼らしくない程の殺気がみなぎっていた。対する兜は無抵抗のままダラリと吊り上がっている。

「おれが『ウゼェ』ならお前は『キメェ』だ……。せめて選ばせてやる。このまま何も出来ず吊られたままか一思いに地面にぶつけられるか、どっちがいい」

滑 塚がいつになく好戦的な姿勢を見せる。本来の彼の性格にはそぐわない乱暴さだが、それだけ目の前の相手の奇妙な態度が気味悪かったのだと言える。だがもし 滑塚が一切の遊びを見せず『秒殺』を決めていたなら――そしてそれは十分に可能なことであった――その後の展開は違っていたはずだった。

「ヒヒヒ……ククク……ハッハッハ!」

掴まれ吊り上げられたままの兜が笑う。腹の底から、おかしくてたまらないという風に。

「何がおかしい!」

「てめぇの単細胞ぶりが、さ」

その時だった。爆発のような轟音と突風が滑塚を襲ったのは。滑塚はとっさに顔面をカバーするが、体ごと吹き飛ばされ十数メートル後方に転がる。即座に起き上がった滑塚が見たものは、黒い炎のような不気味なオーラに包まれ空中で静止する兜の姿だった。

「な……なんだこいつは……!?」

滑塚の背中を冷たい汗が流れる。単に自分の得意魔法を振りほどかれたというだけではない。目の前で起きている現象は三年生執行部員である自分でさえ全く見たことがない異常なものなのだ。

「サイコーの気分だ……! 力が溢れてくる……! 俺はお前ら以上の力を手に入れたんだ……!!」

「なんだと……?」

黒い炎が徐々に収縮し、兜の本体を守るように固体に形成されていく。その姿はまるで腹の中に人間を住まわせるドクロの魔人。奇々怪々なる死の運び屋。観客が一斉にざわめき出す。

「お、おい……あいつあんな魔法使えたのか?」

「知らねーよ! 見たことねーし!」

「それよりなんて不気味な姿だ……絶対にあんなのとやり合いたくねーぜ」

そんな中、伊勢兄は隣の永井に疑問を投げかけた。

「おいありゃあ……お前のロッキーと同じ魔法じゃねえのか?」

「いや、似ているが違う……。あんな魔法は知らない……」

永井は青ざめた顔で首を横に振り、自分のバンダナを手で押さえる。

「震えている……」

「震えてる? 誰がだ?」

「ロッキーが震えているんだ!」

伊勢は永井が冗談を言っているのかと思った。

2013年3月22日金曜日

エムゼロEX 14

ここは魔法空間内部に作られた聖凪杯特別会場。中心に位置する闘技場には大きな魔法陣が描かれている。それは外部からの干渉を防ぐと共に観客を守る結界を作るためのものだ。同時にその結界の中において通常より濃い魔法磁場を生むことで、後腐れのない全力の勝負を演出するための仕掛けでもあった。

「あっ、尚っち! ねえねえ尚っちも一緒に見ようよー!」

観客席をウロウロしていた愛花は、親友が一人で座っているのを発見し元気に声をかけた。もうすぐ始まるスペシャルイベントの開始に向け聖凪高校のほぼ全生徒が会場のあちこちに散っている。愛花は久美やミッチョンと共に九澄応援のための一番見やすい席を探していたところだった。

「あ……愛花」

こちらに気付いた観月だったが、その表情は冴えない。最近観月と顔を会わせていなかった愛花は首をかしげる。

「どーしたの尚っち、元気ないね」

「んーん、そんなことないよ、気にしないで。みんなで九澄の応援?」

「うん! ね、みんなで一緒に応援しよ?」

観月は微妙な笑顔を作り遠慮がちに頷いて同意を示した。愛花はその様子を見てやっぱり何かあると思ったが、すぐには突っ込まずニコニコしながら観月の隣に腰掛けた。 悩みがあるならじっくり聞いてあげればいいのだ。久美、ミッチョンも順番に腰を下ろす。開会式開始までもうあとほんのわずかだ。

聖凪高校の歴史は半世紀を超える。その長い歴史の中で過去に数度、ある好奇心が答えを得たことがある。「最強の魔法使いは誰なのか」――それは魔法に青春を捧げ魔法に情熱を費やした若者達にとって、ある意味では当然の疑問だ。その観点から見れば最強を決める大会が開かれること自体は何ら驚くべきことではない。ただし頭の硬い教師陣を説得し、ルールや安全対策を整え大会を実行に移すことは、社会経験の乏しい高校生にとって決して易しい事業ではなかった。故に過去何度も企画倒れに終わってきたというのが実情なのだ。

『じゃあなんで今回はこうすんなり実現したんでしょうか?』

マイク越しに利発そうな女子生徒が問いを投げかける。実況担当である彼女に答えるのは他ならぬ聖凪高校魔法主任、柊賢二郎。鋭い目がどっしりと構えていて何やら妙な迫力がある。

『それだけ皆が知りたがっているということだろう。稀代の天才と謳われる夏目琉や、怪物一年生と呼ばれる異色の新星九澄大賀……。あるいは他にも我こそは と思う者がいることだろう。22年前、俺や幾人かの生徒が"誰が一番強いのか"という話題の中心となってバトル大会による決着を必要としたように、今年も同じことが起こったのだ。それだけの人材が集まったということだろう』

その他に要因があるとすれば、教頭をはじめ普段はこうしたイベントにいい顔をしない教師達がなぜか賛成に回ったことだ。しかし柊父はどう説明したらいいのかわからなかったので言及しなかった。

『なるほど……。確かに今大会のレベルは過去のどの時代においても実現し得なかったかもしれないという声もありますしね』

『それが正しいかどうかは今日明らかになるだろう。まあそうは言っても俺より強い奴はいないだろうがな』

実況の女子は「アンタ教師だろ」というツッコミをグッと飲み込んで前を向き直した。

『……さあっ! 時間がやって参りました! みなさん盛大な拍手でお迎えください!!』

会場のボルテージが一気に上がる。中央に描かれた魔法陣、そこに7つの黒い穴が空いた。

 

 
    『全選手入場!!!!!!』

 

 
穴の一つ一つから次々と人間が現れる。魔法大会ならではの演出である。

『一年生にして黄金のプレート!! 先輩共よ俺にひれ伏せ!! 怪物一年生、九澄大賀!!!』

一番手に入場した九澄の拳は固く握られ、その内側からは汗がじんわりとにじんでいる。九澄は周囲の観客たちを軽く見渡しつばを飲み込んだ。三年生からの反応は静かなものだったが一年生からの声援は絶大だ。

『肩書きは生徒会長、そして今日は聖凪のジャンヌ・ダルクだ!! 二年生代表望月悠理!!!』

実質的な主催者の1人でもある彼女に緊張の色は一切感じられない。涼しい顔で手を振ってオーディエンスにアピールしている。

『執行部のプライドは絶対譲らん!! 誇り高き捕獲人〈スナッチャー〉滑塚亘!!!』

腕を組んで仁王立ちする滑塚の風格はかなりのものだ。毎朝磨いているという噂もある自慢のデコがキラリと光る。

『ダークホースとは呼ばせない!! エリートどもの仮面を剥いでみせよう兜天元!!!』

女子ほどの小柄な体格に健康が心配になるほどの痩せ身の男。およそ闘争には似つかわしくない非体育会系の容姿ながら眼光はギラギラと輝いている。

『ウィザードの首は俺が獲る!! 誰にも邪魔はさせない!! 鉄腕の新宮一真!!!』

素手の格闘なら間違いなく絶対的本命になる男。ただ立っているだけで闘志と闘力の充実ぶりが客席にまで伝わる。

『マジックワングランプリ優勝者が二冠を狙う!! 完全王者は我の手に!! 幻影〈ファントム〉・浅沼耀司!!!』

にこやかに振る舞い自然体で立つ。全参加者中最もリラックスしているようにも見受けられる長身の青年の自信の礎はいかばかりか。

『さあいよいよ登場です!! 生ける伝説の力量がついにベールを脱ぐ!! 執行部部長・大魔術師〈ウィザード〉・夏目琉!!!』

三年生から上る一際大きな歓声に両手を上げて答える"稀代の天才"。その伝説の浸透ぶりは尋常では無いのだ。もちろん同じ校舎で一年間を共にした二年生にも彼の名声は轟いている。

『並び立ちました聖凪最高の7人! この7人が今日ここで最強の座をかけて争います! 皆様どうかその目でこの一大カーニバルを目撃してください!』

再び大きな歓声が巻き起こった。

「なあ、なんでトーナメントなのに7人なんだ? 普通8人にするだろ?」

観客席では伊勢兄が永井に疑問を投げかけていた。

「夏目部長はシード選手なんだ。あの人は一回戦を戦わない」

「なるほどな……。まあ確かにそれ相応のレベルではあるけどよ」

伊勢の脳裏に、かつて夏目によってあっさりとねじ伏せられた屈辱が蘇る。執行部に入ったばかりの頃に調子に乗って勝負を挑んだ時の話だ。それまでに上級生との魔法バトルに勝った経験があることもあって己の力量を過信していた伊勢は、あの時初めて完全なる敗北の味というものを知ったのだ。

「やっぱ本命はあの人か、永井」

「揺るがないな。望月が何を企んでいたとしても一対一ではどうにもならないだろうし、他の三年生だって部長と比べるのは可哀想だ。あえて言うなら……やはり九澄が鍵だろう」

「やれやれ、あの小僧も高く買われたもんだ。俺は奴とのケリが付いたとは思ってねーがな」

あの時、あの九澄とのバトルの時は気分が萎えたこともあって自分から勝負を放棄したが、以来伊勢は打倒九澄を常に頭の隅に置いてきた。絶対に勝てない相手だ とは思っていない。九澄はもはや上積みのないゴールドプレート。対して自分にはまだまだレベルアップの余地があるはずだ。

「フ……その負けん気の強さは尊敬するよ」

永井が嬉しそうに頬を緩めた。

「ねえねえ、あの二人えらく打ち解けてんじゃない?」

並んで立つ伊勢と永井の様子を見て、執行部副支部長の宇和井玲が部員の沼田ハルカに耳打ちした。春の一件以来伊勢と永井の対立そのものは終わっているが、 昔のように友人に戻ったわけではないことを知っている彼らからするとちょっと驚くべき光景だ。あの雰囲気じゃ学校帰りに二人でハンバーガーショップに寄っていてもおかしくないんじゃないかという風に見える。

「きっと色々あったんだよ」

ハルカは目を細めながら二年生最強コンビを眺める。宇和井の目にはその表情が心なしか恍惚としているかのように映った。

「美少年同士の対立と和解……いいわぁ……」

宇和井は親友の危ない目つきにちょっと引いた。


####


九澄の出番はいきなりやってくる。一回戦第一試合。ただしその前に会場では前座として軽音部のバンド演奏(魔法によるロックフェスばりの演出付き)が行われていた。

「本当に大丈夫なんだろうな、九澄」

試合直前の控え室で柔軟体操をする九澄に対し柊父が疑問の声を投げかける。柊父にしてみれば九澄の優勝など望むべくもない。それよりいかに惜しい戦いを演出してさっさと敗退するか、それが重要だった。ちなみに今この部屋には彼ら二人を除いて人間は誰もいない。(マンドレイクならいるが)

「たとえ無様に破れても、俺が解説者として舌を尽くしてお前の株がなるべく下がらんようにはする。だがそれも負け方次第だ。なんとか言い訳の通用する程度の散りっぷりを見せてもらいたいもんだな」

「大賀は負けないもん!」

「ったく、相変わらず信用ねーな、俺」

九澄が背筋をストレッチしながらぼやく。その表情から奇妙な余裕と自信が感じられて柊父は戸惑う。先日もそうだった。いったいこの男は何を考えているのだろう?

「ま、なるようになるってこった」

九澄は歯を見せて笑う。控え室のドアがノックされる。時間が来た。

「行こうぜ、ルーシー」

「うん!」

ルーシーが九澄の方に乗り、姿を消す。これで九澄以外の人間には誰も彼女を視認できなくなる。試合においてある意味きわめて有用な魔法アイテムとして機能することだろう。ただし彼女の助力がある程度で勝てるものなのか、はなはだ疑わしいというのが柊父の見立てではあったが。

 

####


『さあそれではいよいよ試合が始まります! 西より入場者九澄大賀!』

九澄が会場に姿を現す。観客席の一年生の集まる一帯からひときわ大きな歓声が上がる。

「九澄ーーー!! ぶっとばせーーー!!!」

「九澄君頑張ってねーーー!!」

九澄は彼らの方には振り向かず拳を固く握りながら歩みを進める。間近で観察しているルーシーには九澄の動きの違和感がはっきりと感じられた。

「ねえ大賀……ひょっとして緊張してる?」

「あー……ま、一応な。相手だって得体が知れねーしな……」

九澄はまっすぐ正面を見据える。相手の顔からは一切の緊張は感じとれない。まさに余裕のたたずまいだ。

「お手柔らかにね。九澄大賀君」

彼女が握手を求め、九澄はそれに応じた。

(女子の手ってつくづくちっせーし細いし柔らかいよなー)とどうでもいいことが九澄の頭に浮かぶ。しかし一切の油断は出来ない。ある意味ではこれほど動きの読めない相手は他にいないのだから。彼女が三年生でないことなど、そもそも魔法を使えない九澄にとってなんの慰めになろうか?

 

『一回戦第一試合、九澄大賀vs望月悠理、始めっ!!!』

九澄は合図と同時に腰を落とし臨戦態勢に入った。その鋭い凶悪な眼光(ガンタレとも言う)は並のヤンキー程度なら即座に臆してしまうだろう。もっとも、目の前の相手がこれでビビるとは微塵も思っていなかったが。

「ふーん、すぐに飛びかかってくると思ったけどそうでもないんだね。それじゃああたしから行こうかな」

望月がゆっくりと右手を九澄に向ける。女子高生らしくよくケアされた手の平がピンと広げられ、本人の目が怪しく光る。その時だった。九澄が無造作に腕を振ったのは。

ステン。

まさにそうとしか形容の出来ない「コケ」。望月は肩口から地面にぶつかり目を白黒させた。九澄はただ数メートル前方で腕を振っただけ。一見すると何の魔法も発動したようには見えない。だが望月は間違いなく何かに「足を取られた」。観客はまだ静かだ。九澄が何をやったのか気づいている者はいない。というか九澄にとってはそんなやつがいてくれては大問題なのだが。

望月が九澄の動きを監視しながらゆっくりと立ち上がる。汚れのついた肩を払い「ふむ」と口を真一文字に結ぶ。先ほどまでの笑顔はない。

ストン。

またしてもだった。望月は全く無抵抗のままその場で転んだ。今度は尻が地面とキスをする。観客席のそこかしこからクスクスと笑いが漏れるが、皆もう気付いていた。九澄は確実に「何か」をやっている。

「おめー、降参するなら今のうちだぜ」

九澄が望月を見下ろす。あえて言うなら、そう、ゴミを見るような目で。九澄大賀はサディストではない。しかしハッタリを効かせるためにはそのように振る舞わねばならない時があることを彼はよく知っている。相手の手の内が全くわからない時、ダメージを受けずとも何度も転ばされたりすれば必ずいくばくかの恐怖心が芽生える。そこに重苦しいプレッシャーをかければ少なくとも平静ではいられないはずだ。相手のメンタルを乱すこと、それは九澄にとって勝利の第一方程式である。

(さっすが大賀、演技力抜群ね!)

マンドレイクの美少女が望月のかたわらでほくそ笑む。懸命なる読者諸氏はもうお気付きだろう。彼女ルーシーこそが望月を転倒させた犯人である。着せ替え人形ぐらいのサイズしかないルーシーとはいえ、普通に突っ立っているだけの細身の女子高生を転ばせることなど雑作もない。何せ相手はこちらのことなど全く見えていないのだから。うまくいけばこのままコロコロ転がしまくっているだけで勝手に戦意喪失してギブアップしてくれるのではないか。そんな風にルーシーは楽観していた。

「ふー、やっぱり簡単にはいかないか」

望月は地面にペタンと座り込んだまま自重気味に笑う。九澄は微塵も警戒を解いていない。先日のことだ。支部長の永井から彼女には気を付けろと入念に忠告された。魔法力はそれほどでもないはずだが、どんな手を隠しているかは一切わからないと。それを聞いている以上この程度の優勢では少しも気を緩められるはずがない。

「ま、あたしとしても本番で遊んでられるとは思ってなかったけどさ。でも……失敗したよ、九澄君。あたしの仕掛けに気付いてなかったでしょ」

「仕掛け……?」

九澄が眉をひそめる。

「うん、足元」

途端九澄の足元で何かが膨れ上がる。それは九澄が反応するより早く足をとらえ一瞬にして両脚に巻き付き、更に胴体と腕までもを封じた。

「……! こいつは……!」

緑色のツタのような植物。それが九澄を何重にも縛り動きを完璧に封じてみせる。観客席からオオーッという声が上がる一方でルーシーが顔色を失う。

「なんてことはない、ただの魔力の影響で強化されたツタなんだけどね。その種をこっそり君の足元に飛ばしておいたんだ。ほら最初に右手を君に向けたでしょ? あの時左手でこう、指を弾いて飛ばしたの。ま、初歩的な手品だよね」

この手の魔法植物の種子は聖凪高校の敷地内ならさほど苦労なく手に入る。それを九澄の足元に飛ばしたのもごく単純なトリックだ。九澄は自分がやるべきことを逆にやられたという事実に驚くしかなかった。

「さて……あたしとしては無駄な魔法力は一ミリも使いたくないからさ。すぐに始めさせてもらうよ、あたしの切り札……」

「ぐ……!」

九澄は全身に力を込めるが、ツタは地面にしっかりと根を張りピクリとも動かない。ある実験によれば大型トラックを釣り上げることも出来ると言われている魔法植物だ。人間の力でどうこうできるはずもない。もちろんルーシーの助力程度ではどうしようもないことはわかりきっていた。

(どどど、どーしよう? 大賀がやられちゃう!)

パニクるルーシーの横で望月は懐からペンと分厚いノートを取り出した。一見すると魔法アイテムのたぐいには全く見えないそれらの道具は、実は本当に単なる筆記用具である。駅前のタジマ文具で購入、計420円。だがそれらは明らかに望月の魔力を帯びていた。

「この魔法はやたらめったら条件が厳しくてさ……。発動中に相手に動かれたらダメだとか、魔法の効果をちゃんと相手に説明しないといけないとか、面倒な制約が多いんだよね。その上魔法力の消費量もあたしの手には余るほど大きい……。だからあたしは考えたの。こういう大会を開いて、普通より強力な魔法磁場の中で試合を行うことにすれば魔法力の問題は一気に解決するんじゃないかなあ……って」

(な……何言ってんだこいつ……?)

それはまるでこの大会自体が「この瞬間」のために仕組まれたかのような発言だった。教師達と交渉し出場メンバーを集めあらゆる面倒事を引き受けたのは、生徒会長にして大会主催者である目の前の彼女。その目的がつまるところたった一つ、強い魔法磁場のもとで九澄と正対し何らかの魔法を仕掛けることだというのか。

『ええっと、どうやら両選手何事かしゃべっているようですが、いかんせん結界の内側、もう少し大きな声で話してくれないとよく聞こえませんね。それにしても望月選手、あのペンとノートで何をするつもりなんでしょうか?』

実況担当を含め観戦者は皆戸惑っていた。その困惑は解説席の柊父にとっても同様だ。あの魔法がなんなのか、喉まで出かかっているのに思い出せない。

「じゃあいくよ……。といってもちっとも痛くないから心配しないでね」

ペンとノートを包んでいたオーラが更に巨大化しきらめく。その魔法を知っている者は観客席の生徒達には皆無だった。決して生徒に教えるような代物ではないタチの悪い魔法。柊父はようやくその正体に思い当たり青ざめる。

(冗談ではない……! ボロボロに負けるぐらいならまだマシだ。こいつは正真正銘最悪の魔法じゃないか!!)

ペンを包んでいるのと同じ色のオーラが九澄を覆い、望月の唇が妖しく動く。

「対象者の記憶、経歴、黒歴史、その他あらゆる個人情報を本人が忘れていることまで含め一切合切ノートに書き記す!!! それがこの魔法 "完全なる人物百科〈ペルソナルペディア〉"!!!」

「な……なんだってーーー!!??」

九澄は両目が飛び出さんばかりに驚愕した。